昨日一日の出来事など

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前日の写真。
朝から夜まで、修了作品の講評と審査。こちらが理解できる範囲でしか作品が出てこない。手抜き、手抜きとさえ自覚していない提出作品が眼に付いた。途中不可解なニュースが入り余計に判断がブレていく。横着さが才能を消していく、それを見たくはない。才能なんてその程度のモノでしかないのだが。一人黙々と作業を進めていた子の作品が、良かった、みずみずしさを持って、いくつかの試みを内在させ、白ということばのなかに写真を遊ばせていた。もう一人も、直前まで毎日のように学校で作業をしていた、不十分な機材しか使えない状況だったにもかかわらず、微妙な色彩をキチンと整理し、完成度の高いプリントに仕上がっていた。ただ、自分が造ったプリントの扱いがぞんざいで、作品への気持ち(作品は作者からさえも解き放たれる、作者にはすでに作品の保護者という地位しか与えられてはいない)が育っていないことには無性に腹が立った。見栄えの良い作品が増えていることも、機械への依存が進んでいることでしかなく、横着になっているだけだろう。誰もがそこそこの作品を大量に生産することは出来ているのだということなのに。深川が刺されたとニュースに、現実感がまったく伴わなかった。命に別状無しという報道に、経緯不明の一方的な事件へといたる流れが、記述されていく。加害者、被害者、加害者への同情、被害者への非難を孕んだ言及。あるいは命に別状無しということが解き放ったワイドショー的な興味本位の視線。深刻さを共有することはないであろうし、同情することもないだろう。穏便に事を済ませてそしらぬ顔で生きている多くの人たちに比べ、スキャンダラスな話題を提供してしまったことが、実直な深川らしいとも思う。ただ、加害者と呼ばれる人を育ててしまった償いは、それはもうひとつの傷跡として残っていくだろう。

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