Posted in さくひんせいさく, もろもろ, 写真 on 2月 8日, 2010年 by myb – コメントを書く

展示が終わって一週間、次を考えたくなっている。なにをやろうか。
おそらく写真展という方法、すでに役割は終わっている。ただし、個人的にはまだまだ使い用はあるし、他の方法を思いつかない。役割が終わってる、あるいは縮小しているというのは社会的機能としてのこと。限定的にはまだ生き延びていくのだろう。展示はショールーム的な機能、本体はどこか他にあってというような理解になっていく気がする。本体を見せていくのはどうやっていくことになるのか、そこを考えている時間の余裕はないし、面倒だ。ただ印刷・写真集という可能性も、その社会的役割の終わりに辿り着いたときから趣味的ではあっても個人的な発表メディアとしての様子を見せ始めているのだから、不思議なモノだと思う。写真集がアーティストブックという方向に変化していること、その辺りはちょっと気になってきている。photoブックというメディアにさえ可能性を想う。やらないけど。
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Posted in もろもろ on 2月 7日, 2010年 by myb – コメントを書く

平木の一周忌が近づいている。京都の方まで墓参りにと思っていたが、用事が重なってきていて、微妙になってしまった。
このところ、身近でいろいろと障害にぶつかる連中が出てきていて、気持ちが落ち着かない。やっぱりというのもあれば、まさかというのもある。用心も不用心もあまり差はないことだと思うが、聞けば切ない。
山田を見舞いに阿佐ヶ谷に行ってみた。病院のベッドにジーパン穿いて寝転んでいた。脇の机の上にはmacのノート、iPhone、ipad、今時の入院患者はこうなのかと。携帯も持っていた。カメラは机の上にはなかった。30分くらいのつもりが2時間近くダラダラしてしまった、一緒に行った小椋もどう心配して良いのかわからないといった様子で、普段とさほど変わらぬ世間話。といっても病気話しが8割ではあったが。いずれ人工透析ということ、不用心の代表とはいえ、負ったハンディーは相当なもの。もうすこしの時間、病院が住処になるようなので、また様子見に行くつもり。食べ物飲み物がダメという病人、見舞いを持って行くことを考えずに済むのは良い。小椋はなにか持って行ってたようだが。
週末にもう一人手術上がりの友人と会う。こちらは深刻ではない。
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Posted in さくひんせいさく, 学校のことなど on 2月 5日, 2010年 by myb – コメントを書く

2010年度は、第一学科1年のクラスを見ることにした。写真を撮る愉しさを教えていけるかが鍵になるだろう。身体を動かし手を動かすこと、自分たちの時代はすでに遠い。遠ざかった経験を押しつけることに意味を感じない、いまという時代のなかで写真が生きていくはずだし、それを感じ取るアンテナは学生たちの方が鋭い。
個人的には、夏を目標に展示を考えてみたい。場所もなにもこれからだが、同世代が次第に姿を消し、若い友人の中に病を抱える姿が眼につく。急かされる気分がないとはいわないが、多少向かうべき方向への確信も見えてきているのだから、目標地点を設定しておく。
早稲田でのシンポジウム、その手前での打ち合わせの機会が自分の見えていなかったことをつなげるきっかけになった。PRISMという出発点、そこで中断し放置していたいくつものことを、いまという時代の中にアマルガム状に組み込んでいく。あたらしいことをやるということではない、あるいははじめて「あたらしい」という言葉から逃れる方途が見いだせるのかもしれない。あたらしさを求める時代が終わったと、それが制作に混入できる気がしている。まだ、ことばに出来ていない。
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Posted in さくひんせいさく, 撮影 on 2月 3日, 2010年 by myb – コメントを書く

午後、カメラを持ってお散歩。30年前の復習。200カットほど、簡単に撮れた。出来もおそらく悪くはない。
35年前に写真のことを考えていたこと、熱に浮かされるように、というか風邪引いて布団にくるまって考えていたのだが。中心を消去するという方法についての試行。無意味な中心。この場合の中心は、構図法的なことではなく、意味を形成する中心というようなことだった。写真にとっては「なにを撮るか」ということ、「なににカメラを向けるか」ということ。残雪にカメラを向けつつ、主題を空洞化する。この作業では、街路樹を撮り続けた博多の柳とふたつを発表している。もうひとつ、実際にネガの中心部分をサンドペーパーで削っていく作品を作っているが、こちらは変色破損で廃棄した。もともとは、高校写真部の後輩が所属していた九州大学写真部の分派が出した冊子に書いた「空飛ぶ円盤が写っていなかった空飛ぶ円盤の写真とは」というテキストが元になっていた。
昨日撮影しながら、考えていたことは概ね間違ってはいなかったことを実感した。まあ、進歩していないということでしかないのだが。
今日の写真はその派生系。ここまで含めるかたちでまとめてみたい気もしている。やんないだろうけど。
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